高島ってどんなところ?
高島地区は、長崎港から南西約14.5km離れた高島をはじめ、飛島、中ノ島、端島の4つの島からなり、面積は全島合わせて1.34㎢の海に囲まれた自然豊かな地区です。
現在、唯一の有人島である高島は、美しい海を活かし、本格的な釣りが体験できる飛島磯釣り公園、快適な海水浴が楽しめる高島海水浴場、台座付きテントを備えた高島ふれあいキャンプ場などが整備され、気軽にリゾート気分が味わえる島として、また、世界文化遺産がある島として多くの方々に認知されてきています。 |
知れば知るほどワクワクする!高島の魅力
2015年(平成27年)、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として高島炭坑と端島炭坑が世界文化遺産に登録されました。
高島は気軽に南国リゾート気分が味わえる島としても広く知られています。
もちろん、高島は美味しいものもあります。 |
|
高島の歴史年表
文治元年(1185年) | 平家の落武者が住みついたのが始まりといわれる。 |
元禄8年(1695年) | 「五平太」という人物が石炭を発見。 |
宝永7年(1710年)頃 | 深堀氏の力を借りて高島での炭鉱が事業化。 |
慶応4年(1868年) | トーマス・ブレーク・グラバーと佐賀藩の合弁により高島炭坑が本格的に稼働。深さ約43メートルの竪坑を掘り、蒸気機関を用いて石炭を採掘した。この竪坑は「北渓井坑(ほっけいせいこう)」と呼ばれ、日本で最初の洋式竪坑だった。 |
明治14年(1881年) | 高島炭坑が岩崎彌太郎に譲渡され、三菱の経営による操業が始まる。 |
昭和41年(1966年) | 高島炭坑が年間153万 9500トンの最高出炭量を記録。 |
昭和49年(1974年) | 端島炭坑閉山。端島は無人島に。 |
昭和61年(1986年) | 高島炭坑閉山。 |
平成9年(1997年) | 「飛島磯釣り公園」、「人工海水浴場」がオープン。 |
平成11年(1999年) | 「ふれあいキャンプ場」が海水浴場に隣接してオープン。 |
平成15年(2003年) | 「高島町いやしの湯」、「高島ふれあい多目的運動公園」がオープン |
平成17年(2005年) | 近隣5町とともに長崎市に編入合併。 |
平成21年(2009年) | 「九州・山口の近代化産業遺産群」として位置付けられた端島(軍艦島)は、世界文化遺産暫定リストに掲載されるとともに軍艦島への上陸が可能に。 |
平成25年(2013年) | 高島炭坑(北渓井坑)と端島炭坑(軍艦島)を構成資産に含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産へ推薦。 |
平成27年(2015年) | 高島炭坑(北渓井坑)と端島炭坑(軍艦島)を構成資産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に認定。 |
令和6年(2024年) | 令和5年(2023年)から長崎大学などが取り組んでいる、水産業養殖DXの推進により若者が集まり活気づく海と生きる地域社会の実現を目指す産学官連携プロジェクトを実施するため、「長崎大学 高島水産研究所」が設置される。 |